改憲vs護憲を超えて

憲法改正の流れが現実的になった時に、建設的な議論ができますように

「十七条憲法」を精読する・1〜「和の精神」とは何か〜

聖徳太子」こと厩戸王により書かれたされる「十七条憲法」あるいは「憲法十七条」を振り返ってみたい(旧漢字は現在用いられている漢字に改めた)。

 

「一に曰く、和を以て貴しとし、忤ふること無きを宗とせよ」

 

この一文はあまりにも有名で、たとえば自由民主党の日本国憲法改正草案の前文に「和を尊び」という文言があるのは、「党内議論」の中で「和の精神は、聖徳太子以来の我が国の徳性である」という意見があったからである、と「日本国憲法改正草案Q&A(増補版)」にも書かれている。

また、産経ニュースにも「和を以て貴しとなす憲法作ろう」という記事が載っている。

一方、それに対しては批判的な意見(澤藤統一郎の憲法日記 » 憲法に、「和をもって貴しと為す」と書き込んではならない)もある。「和」を尊ぶことが、「忤ふること無き」、つまり、「上」に対して「下」が逆らってはいけない、という意味である、という解釈から、民主主義を成り立たせる上で大切な批判精神に反するものだ、というものである。

 

私は、批判的な見解を述べる澤藤氏と同様、護憲の立場の人間ではあるが、「十七条憲法」の「和の精神」については、やや異なる見解を持っている。

 

「一に曰く、和を以て貴しとし、忤ふること無きを宗とせよ」だけをいくら読んでも、「和」とは何か、それを「貴し」とするとは何か、「忤ふる」とは何か、ということを解釈することはできない。あまりに漠然とし過ぎているし、主語もないからである(他の条文には、主語がはっきりしているものも、そうでないものもある)。

しかし、この「第一条」には続きがある。以下に引用する。

 

「人皆党有り、また達る者少なし。是を以て、或いは君父に順はず、乍いは隣里に違ふ。然れども、上和ぎ下睦びて、事を論ふことに諧ふときは、事理自づからに通ふ。何事か成らざらむと」

 

「十七条憲法」は、その17の条文すべて、「○曰→本文→説明」という形で書かれている。つまり、本文に当たる「和を以て貴しとし、忤ふること無きを宗とせよ」を理解するには、その先にある解説を読まなければ始まらない。

大まかに言えば、次のような意味になるだろう。

 

「人というものには党派があって、賢い人は少ない。そのため、君主や父に従わなかったり、隣近所と争ったりすることがある。しかし、上が和いで、下が睦んで、物事を論じあうことができれば、物事は自ずからうまくいく。できないことなどあろうか」

 

澤藤氏が述べるように、君主に従わないことに批判的である。そういう意味では、確かに民主主義の憲法の前文にはそぐわないように見える。

しかし、解説部分の続きを読めばわかる通り、「十七条憲法」で望まれているのは、「上和ぎ下睦びて、事を論ふ」ということである。何でも上の言うことを聞け、という話ではない。むしろ、「和」「睦」のもとに「論じよう」と言っているのである。

 

教科書などを読んでも、その「解説」部分が載っておらず、スローガンのような部分だけが載っている。これでは「和」が何なのかを考えることができない。

 

さて、仮に、本当に厩戸王がこの「憲法」を考えたとすれば、なぜ、そのような内容を冒頭に持ってきたのだろうか。

この背景としては、6世紀末の相次ぐ政争を考えなければならないだろう。蘇我馬子を中心とする勢力と、穴穂部王、物部守屋、さらには崇峻天皇といった政敵との激しい殺し合いである。推古天皇の最愛の子である竹田王、舒明天皇の父である押坂彦人大兄王などは、その頃が没年であろうが、『日本書紀』には記されてもいない。何があったのだろうか。次の大王位をめぐって、あるいは仏教の受け入れをめぐって、派閥ごとの争いが激しく行われたことが想像される。(※崇峻朝に天皇号はなかった、推古・舒明朝に天皇号があった可能性は低い、と考えているが、便宜上、天皇と記した)

 

その反省、そして二度と悲劇を生まない、という決意がこの「憲法」なのだろう。

派閥争い、それも武力を用いての争いに明け暮れるのではなく、「和」して「論」じ合えばうまくいくのだ、という発想である。

仮に厩戸王が唱えた「和の精神」というものを新憲法に引用したいのであれば、「和」がいかなるものなのか、ということの考察をきちんと行うのはもちろんのこと、そのような背景を踏まえた上で引用するべきである。

単に、響きの良い文言を一部切り取って「素晴らしい!」と言うのは、言葉の一部を切り取って「失言だ!」と言うのと似ている。

「和」を新憲法で用いるのであれば、その言葉を冒頭に掲げるに至った反省の心や、「和」の先にある「論」の精神まで含めて用いなければならない。

 

しかし、「和」については、まだ具体性に欠ける。一体、「和」するとはいかなることなのか。さらに読み進めたい(続く)。