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「十七条憲法」を精読する・2〜第十五条から読み解く「和の精神」〜

※前の記事「「十七条憲法」を精読する・1〜「和の精神」とは何か〜」の続き

 

「和」とは何か、と考えながら「十七条憲法」を読み進めていくと、第十五条についての考察抜きには語れない、ということに気づく。

こんなことが書かれている。

 

「十五に曰く、私を背きて公に向くは、これ臣の道なり。凡そ夫れ、人、私有れば必ず恨あり、憾あれば必ず同らず。同らざれば私を以て公を妨ぐ。憾起れば、制に違い法を害る。故、初章に云へらく、上下和諧せよといへるは、其れ亦この情なるか」

 

意味はだいたい、以下のようになるだろう。

 

「私心よりも公を優先するのが臣下たる道である。だいたい、人というものは、私心があると恨みが生まれ、恨みがあれば乱れ、乱れれば私心を優先して公務が滞る。恨みがあれば、制度や法が破られる。第一条に「上下和諧せよ」と言ったのは、このような意味である」

 

臣下たるもの、「私」よりも「公」を、というのは、何も厩戸王のオリジナルの発想ではない。『韓非子』の引用である。

余談になるが、この「十七条憲法」には『韓非子』からの影響とみられる部分が多い。「篤く三宝を敬へ」という文言から、仏教の影響を謳うものであるかのように教科書などには載っているが、実際には儒家の思想や法家の思想が多分に含まれている(道家の思想も、と言われている)。

 

話を戻すが、『韓非子』「公私相背」で「公」「私」の利益が一致しないことが説かれていることなどが、この条文に影響を与えていることがわかる。

父の悪事を告発した者が、「君」に忠義を尽くしたが「父」に対して孝行でなかったとして罰せられた結果、その国では悪事が君主の耳に届かなくなった。あるいは、老父を養うために戦場から逃げた者を賞した結果、その国では兵が逃げるようになった。「公私相背」ではそのような例が説かれている。

それはいいとして、なぜ、それが「十七条憲法」では「上下和諧」だと説明されるのか。

やはり澤藤氏が述べるように、滅私奉公的に上に従うことこそが「和の精神」なのか。

 

ここで、「十七条憲法」の執筆者が読んだであろう『韓非子』「公私相背」を冷静に読んでみよう。

ここでは、「公私」が「相背」するということと同じ意味で、「上下の利」が一致しない、とも言っている。「公」=「上」、「私」=「下」ということである。

「十七条憲法」の第十五条にも、「公」「私」あるいは「上」「下」という言葉があるが、「公」が「上」であり、「私」が「下」であることがわかる。

韓非子』「公私相背」で「公」「上」は「君」とも言い換えられている。「十七条憲法」第十五条においても、同様であろう。つまり、この条文における「公」「上」は、日本(倭)における「天皇(大王)」のことなのである。

韓非子』「公私相背」で「私」「下」は「臣」とも言い換えられている。「十七条憲法」第十五条は君臣関係についての条文なのである。

 

ところが、その第十五条で引き合いに出される第一条では、「君父に従わない」人がいることを憂いでいる。「君」に従うことと、「父」に従うことが、時に相反することであるという、『韓非子』「公私相背」を読んで参考にしているにも関わらず、である。

「上下和諧」を「滅私奉公」的に解釈すると、第一条に「君父」と書く必要はなかったはずだ。ただ語調を整えるために「父」の一文字を入れたとは思えない。どのように解釈するべきだろうか。

 

私は、第十五条は、「上下和諧」の精神のうちの、「臣」側の態度を説いたものなのではないか、と考えている。この第十五条は、文法的な主語は無いが、明らかに臣たる道を説いたものであるからだ。

最後の一文は、「第一条で「上下和諧」と言ったけれど、臣下たる皆さんにとっては、それは、「私」よりも「公」を優先する精神で臨みなさい、ということなんですよ」という意味なのではないだろうか。

対照的なのは第一条で、こちらには主語がない。ここでは「上和ぎ下睦びて」という状況を望んでいるが、これは、「下」すなわち臣下の側に一方的に「和」の精神を求めているものではない。「上」すなわち君主の側にも「和」の精神を求めているのだ。「十七条憲法」では君主たる道も説かれているのだ。

続く