改憲vs護憲を超えて

憲法改正の流れが現実的になった時に、建設的な議論ができますように

リベラル・護憲・左派が抑えるべき歴史上の天王山

「保守・改憲・右派」vs「リベラル・護憲・左派」という単純化した図式で日本を捉えた場合、それぞれが持っている旗印が何なのか、ということを挙げると、

・「保守・改憲・右派」は「愛国」「国益」「国防」

・「リベラル・護憲・左派」は「平和」「立憲」「民主」

というところではないかと思っている。

もちろん、「愛国」「国益」「国防」について左派が、自分らの方が愛国的だし、国益に叶うことを主張しているし、右よりのことをやっていたら国が却って危機に陥るのだ、という形で言論を並べ立てて攻撃に出ることもあるだろう。

逆に、「平和」「立憲」「民主」について右派が、自分らの方が平和主義を現実的に実現できるし、自主的な憲法を制定できるし、民主主義的なんだ、という形で言論を並べ立てて攻撃に出ることもあるだろう。

 

しかし、ここで、舞台が「日本」である、という特性を踏まえて考える必要がある。

舞台がアメリカであれば「自由」、フランスであれば「自由・平等・友愛」などと、何を主張するにしても、確実に抑えておきたい天王山というものがある。

 

日本であれば、幕末の論争などを見ていても、それが「天皇」なのではないか、という気がしなくもないのだが、今の天皇については、いずれの側も旗印にしにくい。

 

アメリカには「独立宣言」があり、フランスには「人権宣言」があるが、日本には何があるのか。

とくにない、といえばそれまでなのだが、あり得るとしたら、「五箇条の御誓文」であろう。明治維新だけでなく、自由民権運動や、大正デモクラシーの旗印にもなり、戦後の昭和天皇の詔(いわゆる「人権宣言」)でも冒頭で触れられており、新日本建設の旗印とされている。

 

ところが、である。

本来は、封建的な要素を残す幕藩体制の打倒であったり、藩閥政府へのアンチテーゼであったり、民本主義への理想であったり、戦後民主主義への期待であったり、といった、より「リベラル」な意味が込められて用いられ続けてきたものなのにも関わらず、今はそうは用いられていない。

これについては別の記事で詳しく述べたいと思う。

 

また、「五箇条の御誓文」と関係する(わけではないのだが、関係させられがちな)ものとして、「十七条憲法」がある。この2つがリンクすると、なかなか強烈になる。

 

有名な保守論客の櫻井よしこ氏は、ご自身のブログで「 混沌たる世界、戦略は聖徳太子に学べ 」と題して、次のように述べている(以下、ブログより引用)。

 

「日本が世界に示し得る価値観は7世紀の聖徳太子の時代に遡れば明確であろう。太子の外交と治政を知ることで日本の真髄も感じとれる。歴史を辿れば、十七条の憲法で目指した価値観が約1260年後の明治政府樹立時に、五箇条の御誓文として蘇ったことにも気づくだろう。」

「十七条の憲法と五箇条の御誓文の精神がピタリと重なることは、十七条の憲法に込められた価値観が約1260年間、日本国統治の基本となっていたことを示している。その価値観は、明治維新から78年後の昭和21(1946)年1月1日に、三度、鮮やかに登場する。連合国軍総司令部GHQ)の占領下、厳しい検閲制度ゆえに自由な発言が許されなかった状況の下、昭和天皇が新年の御詔勅の冒頭、五箇条の御誓文全文を読み上げられたのだ。」

 

なんと、こうやって無理やり重ねてしまうことも可能なのである。

実際には、冷静に読めばわかることなのだが、この櫻井氏の論には矛盾もあり、論理の飛躍もあり、はっきり言って滅茶滅茶である。しかし、それは次の記事に回すこととしよう。

 

ここで言いたいことは、日本という舞台で論じ合うに当たって、「五箇条の御誓文」が天王山であり、「十七条憲法」まで抑えるとかなり強力なのではないか、ということである。

いずれも、専制政治に対するアンチテーゼとして用いることができる武器である。諸刃の剣かもしれないが。

ところが、「天皇」の印象が強すぎるために、どうしてもリベラル・護憲・左派」はこれらを忌避してしまう。

果たしてそれは得策なのだろうか。

その強力な旗印を、相手に渡してしまって良いのだろうか。

「日本」という舞台で論戦する相手に、あまりに有効な武器を渡してしまっているのではないだろうか。