戦後歴史教育の問題点 (3)時代区分のおかしさ・その1
「旧石器時代」「縄文時代」から始まる日本史の時代区分のおかしさについては、すでに多くの人が指摘しているところであろう。
①旧石器・縄文・弥生・古墳・・・日本列島上の広い領域に広がった文化の特徴による時代区分
②飛鳥〜江戸・・・日本という国家の政治の中心地による時代区分
③明治〜・・・日本という国家の元号あるいは天皇の変化による時代区分
①と②と③では、時代区分の基準が異なる。
春夏秋冬と1月2月3月とで時期区分の基準が異なるのと同じように、①②③では基準が異なっているのである。
「なんで春は1月より長いんですか?」という質問をする人はいないだろうが、「なんで縄文時代は他の時代より長いんですか?」という質問をする人は聞いたことがある。
異なる基準のものを、十把一絡げに「○○時代」と呼ぶこと自体がおかしいのだ。
おかしい結果、何が起こるのか。
「日本」という国家の政治史の区分である飛鳥時代・奈良時代等々と、「日本」という国家誕生以前の時代区分である縄文時代・弥生時代等々とが、同じ「○○時代」という数直線上に並べられてしまったら、いつから日本という国家があるのかが見えにくくなってしまうわけだ。
その結果、「日本は昔からあった」「日本は初めからあった」という荒唐無稽な話が登場してしまうのだ。
なんと、「神武天皇から」「紀元前660年から」よりも、もっとおかしい話になってしまっているのだ。
その荒唐無稽な話を、教科書に載せてしまう人たちもいるようだ。
たとえば、
http://www.fusosha.co.jp/kyokasho/rekishi2.html
ありがたいことに、いわゆる扶桑社版の『新しい歴史教科書』の一部をここで見ることができる。
序章「歴史への招待」というところに、「歴史モノサシ」という不思議なものがある。ここで、旧石器・縄文時代から現代まで、一本のモノサシで日本の時代区分を載せ、「日本という国がいかに長い歴史を持った国であったか」などと感慨深く書いているのであるから噴飯物である。
いえいえ、その頃、日本どころか、国もありませんから。そんな時代の人たちの営みを、日本という国が持っている歴史だ、などというのは傲慢過ぎやしませんか?
まあ、彼らは彼らなりに、より良い歴史教育を目指しているらしいので、私は、彼らを責めるよりも、彼らを勘違いさせてしまった「時代区分」を責めたい。
少なくとも、明治以降、元号に「○○時代」をつけるのは、やめた方がいい。
「天平期」「元禄期」などというのだから、「明治期」「平成期」などと呼べばいい。
先史文化については、「オーリヤニャック文化」「仰韶文化」のように、「縄文文化」「弥生文化」「古墳文化」などと呼べばいい。
①「日本」以前・・・旧石器文化、縄文文化、弥生文化、古墳文化
②「日本」以後・・・飛鳥時代、奈良時代、・・・、江戸時代、近現代(明治期・大正期・昭和期・平成期)
と分ければ、今までよりはちょっとマシになるのではないかと思っている。
①にも②にもまだ問題はたくさんある(どこから「日本」とするのか、①の文化の区分は適切か、②の基準(政治の中心地で区分)は妥当か、近現代をどうするか、・・・)のだが、それについては次回以降の記事で。