改憲vs護憲を超えて

憲法改正の流れが現実的になった時に、建設的な議論ができますように

山本みずき氏のSEALDs批判へのお礼

www.news-postseven.com

 

(イヤミではなく)山本氏は良心的な保守論客であると思っている。叩くための批判などは決してしないだろう。建設的な議論のために批判をしているはずだ。

それを踏まえ、(山本みずき氏が私のような無名人の書くこんな弱小ブログをご覧になることはないだろうが、万が一、ということを考えて)少し意見を書いておきたい。

 

山本氏が指摘するように、たしかにSEALDsの一部は、ネトウヨ顔負けの口汚い言葉で、ネトウヨを彷彿とさせるような知性の無さで、「アベ批判」を展開していた。

非常に良くないものであった。

また、多くの(こちらは「一部」とは言い難い数の)安保法制反対派がしきりに口にしていた「戦争法案」というレッテル貼り。まるで右派が左派に対して「反日」「売国奴」などと言っているのと大差ないくらい、稚拙なレッテル貼りだったように私は感じた。同じ安保法制反対派として決して賛同できなかった。

 

さて、山本氏の記事を読み返してみよう。

 

国際政治や安全保障に関する素養がある周囲の学生の多くは、シールズの主張を冷ややかに見ています

 

という指摘がある。たしかにそうだろう。私もそう思う。ネトウヨが韓国人排斥などを唱えたり、一斉に同じようなサヨク批判、同じような「特亜」批判をするのにも冷ややかな視線があるが、残念ながら、SEALDsに対しても、それに匹敵するくらいに冷ややかな視線があるように感じる。

 

さらに山本氏は、「自分たちの意見のみが正しいという視点に基づくシールズの言説(戦争法案というワンセンテンスポリティックス)は許容できない」」というご友人の引用をした上で、それに「同感」だとした上で、「自分たちの主張こそが民意であると疑わず、異論や反論から耳をふさぐという排他性に危うさを感じる」と言う。

 

自分たちの主張や意見が愛国的であると疑わず、異論や反論は「反日的」「売国的」であると言って耳をふさぐウヨクたちと同じような危うさがあると言えるだろう。たしかにその通りだ。

 

・・・というふうに、しつこいくらいに、山本氏のサヨク批判に、ウヨクの現状を重ね合わせて肯定してみたが、驚くべきことに、山本氏の記事には、サヨクと同じようなタイプの問題点を持つウヨク側に対する批判が一言もないのだ。

 

(繰り返しになるが)山本氏は良心的な保守論客であると思っている。叩くための批判などは決してしないだろう。建設的な議論のために批判をしているはずだ。

とすると、サヨクの質向上のためにこのようなありがたいご批判をしてくださっている一方、ウヨクの質は上がらなくても良いと思っているということだろうか。

それとも、ウヨクがサヨクと同じような「危うさ」を持っていることに気づいておられないのだろうか。

 

理想を言えば、右派・保守・改憲派右派・保守・改憲派の問題点を、左派・リベラル・護憲派左派・リベラル・護憲派の問題点を、まず自己反省し、その上で建設的な議論をするのが望ましいだろう。

ところが、右派・保守・改憲派の多くは、左派・リベラル・護憲派の問題点を声高に主張するだけで、同じような問題点を持つ自己への反省がない。逆に、左派・リベラル・護憲派の多くは、右派・保守・改憲派の問題点を声高に主張するだけで、同じような問題点を持つ自己への反省がない

だから、いつまで経っても目を覆いたくなるような中傷合戦ばかりになるのだ。

 

山本氏ほどの論客が、もし右派・保守・改憲派に自己反省を促すようなことを言ったら、いくらか効果があるかもしれない。でも、それをせずに、多くの凡人と同じように、左派・リベラル・護憲派への批判だけに留まった。

 

左派・リベラル・護憲派の皆さん、山本氏に反発するよりも、まず、山本氏の批判をありがたく受け止め、自分たちの言説や運動の質の向上に努めようじゃないか。