改憲vs護憲を超えて

憲法改正の流れが現実的になった時に、建設的な議論ができますように

「乗客に日本人はいませんでした」

THE YELLOW MONKEYの復活は年明け早々の明るいニュースだった。

新曲の発表もあり、本格的な活動も期待されるところである。

 

私が彼らに出会ったのは比較的遅く、名曲『JAM』からである。

この曲の歌詞には、有名な箇所がある。

 

「外国で飛行機が墜ちました ニュースキャスターは嬉しそうに乗客に日本人はいませんでした

 

というところである。

これは当時、(おそらく本人たちの意図したこととは異なる意味も含めて)大いに話題になった。

 

作詞した吉井和哉氏は別に、ニュースでの飛行機事故の報道の在り方、ナショナリズムの問題などを問うためにこの歌詞を書いたのではないだろう。

まず、『JAM』という曲の歌詞全体をみれば、社会問題を扱う歌でないことは明らかだ。冒頭の「暗い部屋で一人テレビはつけたまま・・・」から始まる心理描写の一環として、「外国で飛行機が墜ちました」がある。この箇所も、やはり心理描写と考えるべきであろう。

乗客に日本人はいませんでした」から「いませんでした」「いませんでした」「僕は何を思えばいいんだろう」などと情熱的に繰り返した後は、「こんな夜は逢いたくて」と続く。

大切なのは、「こんな夜は」であろう。「こんな夜」とは、どんな夜なのか。その「こんな」の内容が、そこまでの歌詞で描かれているのだ。

別に、現実のニュースキャスターは、「乗客に日本人はいませんでした」を「嬉しそうに」なんて言わない。それが「嬉しそうに」聞こえてしまうような、「こんな夜」なのだろう。

・・・と私は解釈している。勝手な解釈であり、違ったら申し訳ない。

 

解釈は解釈として、2番目のサビの、盛り上がるところに、吉井氏はこの有名なフレーズを持ってきた。

当時のインタビューなど読んでいないのでわからないが、おそらく、吉井氏はニュースで飛行機事故の報道を見て、「乗客に日本人はいませんでした」というニュースキャスターのセリフを聞いたことをきっかけに、このフレーズを考えたのではないか、と予想される。

 

私が吉井氏を尊敬するのは、その鋭さだ。

ソロ活動中の『CALIFORNIAN RIDER』という曲では「『ひとりぼっち』の『ぼっち』って何?」と歌っていた。当たり前のように使っている「ひとりぼっち」という言葉に「あれ?」と思ったのだろう。

同じように、当たり前のように聞いてしまう「乗客に日本人はいませんでした」に「あれ?」と思ったのではないか。

 

身の周りの、「当たり前」と思っていたことに対する鋭い感覚。ぜひ、磨いていきたいと思う。