改憲vs護憲を超えて

憲法改正の流れが現実的になった時に、建設的な議論ができますように

安全保障の展望〜「中国」というリスク〜

自衛隊は災害救助隊に改組すべし - 読む・考える・書く」というブログ記事で「日本側からバカなことを仕掛けない限り中国が攻めてくることなどないし、万一バカなことをやらかして中国と全面戦争に突入したら自衛隊では対抗できず敗戦必至」ということが書かれていた。

それに基づいて氏の自衛隊論が展開するのだが、私見では、その前提が正しければ、その後の論には問題はないだろう。おそらく、安保法制賛成派や改憲派が「噛み付く」のは、前提の部分だ。

前提の部分は、2つに分かれる。

日本側からバカなことを仕掛けない限り中国が攻めてくることなどない」

「万一バカなことをやらかして中国と全面戦争に突入したら自衛隊では対抗できず敗戦必至」

ということだ。

安保法制賛成派や、改憲派からの反論としては、

「日本側がバカなことを仕掛ける可能性があるのと同様、中国側もバカなことを仕掛けて攻めてくることがある。かつての大日本帝国のように。だから備えが必要なのだ」

「万一の全面戦争、という時に自衛隊だけでは対抗できないからこそ、他国と軍事同盟を結べるよう、集団的自衛権を認めるべきなのだ」

というものがある。

その前半部分、つまり、「中国側も・・・」というについて、ここで述べたい。

 

すでに、氏が書いている、「謝罪と反省なくして日本の安全保障はない - 読む・考える・書く」という記事にある通り、確かに、今の中国には、今の日本を全面侵略する合理的な理由が存在しない。現実問題として、あるとすれば、尖閣諸島を占領するくらいではないだろうか。

といえば、もちろん反論があるだろう。

尖閣諸島だって国土の一部なのだから、失ってはいけない」

「陸地を失うのはそれくらいまでだとしても、海域、経済水域についてはそれでは済まない」

「国土に直接関係なくたって、南シナ海が中国の手に落ちれば石油の輸入に関して問題が生じて、国益を損なうのだ」

など。

 

それらについて、言えることは、「国益を損なう」という面では反論しようがないことと、「国家存亡の危機には陥らない」ということだ。

もちろん、そのように言えば、「安保法制を認めたって、現実問題として直ちに戦争になるわけでも徴兵制になるわけでもない。国家存亡の危機になるわけではない。いくらか国益を損ないそうだから、ある程度の対応ができるようにしておくのが安保法制なのだ」という反論があるだろう。

これには、安保法制を認めることによるリスクと、認めないことによりリスクとを比べて、どちらのリスクを選ぶべきか、という問題が存在するだろう。これがまた難しい問題なのだが、そんなことを言っても、すでに安保法制は通った。

 

さて、全ての国が、合理的に国益を求めて動く、と仮定すれば、行き過ぎた国益追求が却って国益を損なうということまで予測して、ある程度の国益追求で治まるはずだ。ところが、そうとは限らない。だから外交は難しい。

中国が共産党の支配下にあり続ける限り、南シナ海東シナ海での国益追求は終わらないだろう。一方、彼らは長期政権となった党派にありがちな、いわゆる「保身」を考えるだろうから、無理はしないだろう。他国にとって致命的になるほどの侵略は行わない、と考えて良いと思っている。

むしろ、リスクは、「共産党支配の終焉」という場面にある。

かつての日本を振り返ると、明治の藩閥政治に抵抗する自由民権運動の方が対外強硬派であった。

今の中国でも、反日デモ共産党政権がどうにかコントロールする、という立場にある。反政府運動が対外タカ派ナショナリズムの要素を持つという構図は同じである。

怖いのは、中国での共産党独裁が壊れた時なのだ。とてつもない反日政権が誕生したらどうするのか。かつての大日本帝国の再来だったらどうするのか。

 

私見では、安全保障において最も大切なことは、

一、味方を増やすこと

一、敵を減らすこと

であると思っている。「味方を増やす」「敵を減らす」のが国益になる、ということである。

日本は決して小規模な国家ではないが、偶然、米・露・中という法外に巨大な国に囲まれているために、一見小さく見えてしまう。実際には、比較的大きな国である。しかし、米・露・中に比べれば小さい、というのもまた紛れもない事実である。

さて、米・露・中が直接対決する可能性がないなら、これら3国とは、「米とは味方」「露・中とは敵ではない」という状況を作るのが得策であると私は思っている。というか、露・中を敵にするのは全く得策ではない。むしろ、その3国に囲まれていることを利用して器用な外交をするのが得策である。

そして、その3国に囲まれた上に、北隣に非常におかしな存在を抱えてしまった隣国については、何が何でも味方でありたい。右派の中には、嫌いな人が多いのだろうが、露・中との関係を考えた場合、戦略的に(万が一、戦争になった場合を考えると)その隣国が敵なのか味方なのか、というのは大きい。それは、近代の日本の戦争を見れば明らかであろう。

国のプライドだとか、誇りだとかよりも、戦略的な損得の方が意味のあるものだ。中期的・長期的視野まで見据えた外交をするべきである。

将来中国で共産党政権が倒れた時に、どう転ぶか。その際に、「反日」というのが彼らの旗印にならないような工夫をする、というのが最も大切なことだと思っている。