改憲vs護憲を超えて

憲法改正の流れが現実的になった時に、建設的な議論ができますように

部活問題への補足

先日、部活問題についての記事を2本書いた。

日教組などの組合に求めるもの〜部活動問題など、教職員の労働状況改善をメインに据えたPRを〜

部活動〜提言するなら「日曜日の教育活動厳禁」を〜

 

いくつかの反応があったが、Twitter上では、

知教労 (@chikyourou)

という組合の方から「部活問題に取り組む教職員組合」がある、とのご指摘をいただいた(というより、「知教労」すなわち知多地方教職員労働組合のPRと捉えても良いものと思っている)。

知教労・知多地方教職員労働組合ホームページ - 知教労・知多地方教職員労働組合

上記のサイトを見ればわかるとおり、たしかに、このサイトには護憲・安保反対・原発反対・辺野古反対、といったカラーは見受けられない。

部活問題、新任への仕事押し付け問題などについての文言が並び、「活動成果」には人事の問題への取り組みなどが載っている。

是非、日教組を初めとする各団体も、労働者である教職員を守る取り組みをする団体、ということを全面に出してほしい

先述の記事でも書いたが、教職員の労働環境を守るための取り組みがそういった組合の手によって現実に行われていることは知っている(それが充分かどうかの議論はここでは行わないが)。だからこそ、そういう趣旨の団体であることをまず押し出してほしい。

すでに紹介したことがある「名も無き市民の会」というタカ派の市民団体が、労働運動にも力を入れ、労働組合設立などの運動をしている。

すでに労働者のための多くの実績のある労働組合が、左派的護憲的主張ばかりを全面に押し出し、まるで労働者のための取り組みについてはサボっている「金持ちの道楽」的左翼団体でしかないかのように解釈されてしまってもいいのか。

「既存の組織が、そんな労働者目線に立てない組合ばかりなら、未知の新たな市民運動に期待をかけよう」、という声が広まってもいいのか。

それでも、結果として労働環境が改善されるなら良いかもしれないが、「既存の組織」の立場からは、そうではない危険性を考えるべきではないか。自分たち「既存の組織」が積み重ねてきた実績の部分が壊れていき、却って状況が悪化するのではないか、と、「既存の組織」の立場から心配するべきではないのか。

部活問題 対策プロジェクト」が良い例だ。ネット上でのPRという上手さから、すでに世の中では、部活での労働環境の改善に努めてきたであろう「既存の組織」である各教職員組合の活動より、「未知の新たな市民運動」である同プロジェクトが脚光を浴び、実のある成果を上げる可能性がある。

もちろん、これは、部活動労働の問題、という観点からみれば、プラスの結果に結びついてくれるかもしれない。しかし、教職員組合の問題、という観点から見たら、どうなのだろうか。

 

あくまで私の感覚だが、「名無し会」の方が「日教組」よりも、Web上での市民向けのPRは上手であるように感じる。事務局長の藤原興氏が「ネット右翼大将軍」を名乗っているのも、決して名前負けではないのだろう(なお、藤原氏ご本人も先日の記事についてTwitter上で言及してくださったようで、ありがたく思う。私のような無名のブロガーの記事まで拾い上げる、そのアンテナ力に驚いている)。

市民、と敢えて言ったが、「憲法を守りたい」「辺野古移転してほしくない」「原発よくない」と言っている人たちだけが「市民」ではないことに注意しなければならない。そんなことは当たり前のことなのだが、驚くべきことにそれがわかっていないかのような護憲・左派・リベラルを見かけることがある。是非考えを改めてほしい。党派別にみれば、他のどの党を支持する市民よりも、自由民主党に投票する市民の方が多いという現実をしっかり考えてほしい。自民党の得票率は野党の得票率の合計よりも・・・なんて寝ぼけたことを言っていてはいけない。

 

知教労からのご指摘に答える形でこのように書いたが、実際には、私が知らない様々な教職員組合が、知教労同様のPRをきちんと行っているものと推察する。

(以下は2016年2月17日に訂正)

実際に市レベル、地域レベルなど、全国的にメジャーではない教職員組合の公式サイトを調べてみたところ、どちらかというと政治団体要素よりも労働組合要素の方を強く打ち出せているものが多い。

有名どころばかりをあたっていたこちらの姿勢を反省したい。

是非、それらの地域に根ざした教職員組合の上位組織なども、サイト等で教職員の労働環境改善への取り組みの成果こそ強く打ち出してくれると嬉しいのだが。

 

また、今回は部活問題に関連付けて、教職員の組合だけに絞って記事化したが、もちろん、それだけでは考察として全く不十分であることは承知している。それも含め、機会を改めて書いていければと思う。