改憲vs護憲を超えて

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戦後歴史教育の問題点 (1) 墨で塗られた皇国史観

戦前戦中の「皇国史観」に基づく歴史教育の弊害については改めて言うまでもないだろうが、戦後その「皇国史観」を克服できていない歴史教育が行われてきた、と私は思っている。

たしかに、教科書の内容はより科学的、自由主義的、民主主義的になった。しかし、その教科書に沿った授業が行われたとして、生徒たちは、「皇国史観」に反論できるようになるのだろうか。

 

断じて、できない。

 

「教科書では神武天皇を教えていない。本当は神武天皇が紀元前660年に日本を建国したのだ」

 

という意見に対して、反論できるだけの知識や理解を、現行の歴史教科書は生徒に与えられないのだ。

高校の歴史教科書に限れば、管見の限り、明成社の教科書(櫻井よしこ氏などが参加する最も右派寄りの教科書である)だけが、「神武紀元」についての那珂通世の説を載せており、それを読めば紀元前660年というのは創作なのだという理解を得ることができる。他の、中道〜左派寄りと見られる教科書は、「神武天皇」にもほとんど触れず、日本の建国についての記述も少ない。これでは、「神武紀元」に反論できる生徒は育たない。

神武天皇」だけではない。「皇国史観」を彩った英雄たちが、ほとんど教科書には載らないから、子どもたちは、「皇国史観」を克服できる大人にはなれないのだ。「皇国史観」を知らない大人になるだけなのだ。「学校では教えてくれない歴史を・・・」のような本に触れれば、いとも簡単に騙されるだろう。

要は、「墨塗り教科書」の発想なのだ。「神武天皇」「崇神天皇」「日本武尊」「神功皇后」などに墨を塗って隠しただけ。たしかに、執筆した研究者たちは、「皇国史観」を克服して、素晴らしい学問知を持って執筆に臨んだだろう。しかし、その上澄みだけでは、「皇国史観」を克服できる日本人は育たないのだ。

 

墨に塗られた「皇国史観」は、墨の下でずっと復権の日を待っていた。

かくして、その日は訪れた。

「親も戦争を知らない」世代が多数を占めるようになったことで、「皇国史観」は再び立ち上がったのだ。

しかし、墨の下から出てきたのは、かつての真っ直ぐだった「皇国史観」をグロテスクに捻じ曲げた、「自由主義史観」というものだった。そこには、平泉澄の『少年日本史』に見られたような、真っ直ぐな忠君愛国の心は見えない。忠君愛国の皮をかぶったご都合主義の主張でしかないのだ。自国にとって都合の良い人物や出来事については英雄・善行として顕彰するのに、都合の悪い人物や出来事については「単純な善悪二元論では論じられない」などと言う。そんなダブルスタンダードがまかり通って良いわけがない。

 

さて、「皇国史観」的な考え方は、「日本」という国家があり、「天皇」という存在がある限り、いつでも復活できる。

それゆえ、「日本」という国家があり、「天皇」という存在がある限り、永遠に「皇国史観を克服できる歴史教育」をし続けなければいけない。

日本書紀』『古事記』の編纂者たちがどのように日本建国神話を作ったのか。南北朝の争いがどのように歴史観に影響を与えるものだったのか。尊王論明治維新がどのような歴史像を作り上げたのか。そういったことに触れずして、「皇国史観」を克服することはできないのだ。