改憲vs護憲を超えて

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山本みずき氏とSEALDsの「幻の対談」に思う

あの"18歳の宣戦布告"で有名になった山本みずき氏が、SEALDsとの対談を申し込んで断られ、「SEALDsに聞きたい「国民の命を守るためには何が必要か」」という文章を書いていた(以下、上記のサイトの2015年8月22日現在の文章から「」付きで引用を行う)。

※"18歳の宣戦布告"についてご存知でない方は、アパグループの懸賞論文のページから、"第6回 最優秀藤誠志賞"の欄の"優秀賞(学生部部門)"の下のリンクをご覧いただきたい。2015年8月22日現在、そのような手順により読むことができる。

 

山本氏は「両者ともに「戦争反対」という立場は同じであるはずなのに、なぜ賛成派と反対派の溝は次第に深まっていくのか。理性を忘れて互いに煽り合う、その姿はとても見るに耐えない」という問題意識から、「iRONNAを通してSEALDsに対談を申し込んだのだが、結局多忙を理由に断られてしまった」という。

氏の問題意識は、氏と異なる思想の持ち主である私とも共通するところである。この対談が実現したなら、興味深いものがある。

氏は「iRONNAの母体は産経新聞であり、一般的には保守派のメディアと称される」という前提のもと、「彼らが真剣に自分たちの主張が正しいと思っているのであれば、この対談はSEALDsという組織の活動や、その主張の正当性を広く世に訴えることができる絶好のチャンスにもなり得たはず」と述べている。

私はこの部分についてはやや賛同しかねる。それは、メディアという媒体による編集が入った時に、「その主張の正当性を広く世に訴えることができる」ことが必ずしも保証されるものではない、という点においてである。

SEALDsの言葉が、SEALDsを批判する側のメディア側の編集のかかる媒体によって世に出されるのであれば、SEALDsの真摯な思いがそのまま善意的に世に出される保証はどこにもない。無論、このようなことは産経新聞系に限った話ではないだろう。

氏はSEALDsの判断について残念に思い、「他者の価値観を受け入れようとしない姿勢の表れ」ではないかという批判を展開する。しかし、私はSEALDsの判断を氏と同様に残念に思いつつも、氏が想定するような姿勢を持つほどまで酷い団体だとは今のところ思っていない(そう信じたい)。

SEALDsの判断は、上記のようなメディアの特性を鑑み、自分たちの意見が正しく表現されない可能性を危惧して断ったのではないか、と勝手に想像している。もし違ったら、申し訳ない。

そうであるならば、断るのではなく、山本氏に対して、"自分たちの意見が正しく表現される"状況を作ることを条件として提示した上で、対談に赴く、という形をとって欲しかった。

私がSEALDs関係者でないのが残念でならない。代わりに私がそのテーマで山本氏と話したいくらいだが、"戦争法案"というレッテル貼りをすること自体に反対の私では、SEALDsの代弁はできない。